若者への対応を軽視する風潮
人材不足に悩む介護の現場では、まずは現場を回すことを優先するあまり、新卒より即戦力として働ける人のほうを歓迎する傾向にあります。
ある面では仕方のないこととはいえ、施設の将来を考えれば、やはり新卒社員も増やさなければいけません。
しかし、介護職が若者にとって人気のある仕事ではないことは、経営者であれば誰もがわかっていることでしよう。
ただ、介護職という仕事に魅力がないわけではありません。
その必要性や人の役に立つ喜びを介護業界が正しく発信できれば、きっと志望者が増えるはずです。
なぜ若者が介護職を敬遠するのか
介護業界を志望する動機としてよくあるのが、小さな頃、家で祖父母の介護をしていたというもの。
介護を身近で体験して、仕事をある程度具体的にイメージできていれば、現場に出てから、自らの理想とのギャップを感じることも少なくてすみます。
ただし、こうした人は全体からすれば少数派であり、多くの若者は介護職を「未知なるもの」として扱います。
条件面や仕事内容を他業種と比較されてしまえば、残念ながら介護職が最終的な選択肢に残ることは少ないでしょう。
過去に介護の世界となんのつながりもなかった若者の目を、いかに介護業界へと向かせるかというのは、今後の大きな課題です。
一方、大学や専門学校で一応は介護の仕事や介護技術について学んだ学生たちの多くは、就職する前に職場体験を行います。
将来の希望に溢れた若者たちの中には、介護の現場に対し「おじいさん、おばあさんたちがゆっくりとお茶を飲み、そのわきでは職員がやさしく微笑んでいる」というイメージを持っている人もいたでしょう。
将来の職場となるという意識で、ある程度ポジティブな印象を抱きつつ現場に来る若者はたくさんいるのです。
ところが、現場に足を踏み入れると、耳に飛び込むうなり声。
目の前を眉間にしわを寄せ、髪を振り乱した職員が走り抜けていきます。
お年寄りと接するのが好きだから介護業界を目指したのに、実際に接する認知症のお年寄りは会話することもままならず、ときに威嚇をされ、イメージとは程遠い状態……。
やや大げさですが、最初の職場見学で現実を直視させられ、介護職に恐れをなしてしまうケースが少なくないのです。
介護現場の現実
もちろん、現実を知ることは、とても重要なことですが、実際には実習先で腰が引けてしまった結果、せっかく大学や専門学校で学んだにもかかわらず、介護職に就くことをやめてしまう若者はたくさんいます。
人手不足で忙しい最中に、見学に来た若者の相手をするのは、確かに大変なので、現場では歓迎されないこともあるでしょう。
しかし、職場見学での若者への対応をあまりにずさんにしているようでは、いつまでたっても体力のある若者が入ってこず、人材不足が改善されないため、結局は現場の職員にそのつけが跳ね返ってくることになります。
そのようなことにならないためにも、もう少し若者の目を意識し、現場に目を向けるとともに、仕事の上手な見せ方を考え、若者がいつ来てもあこがれるような職場づくりをしなければいけません。
介護の「ダサい」イメージ
介護の世界をあえて若者言葉で表現するなら「ダサい」でしょう。
ほとんどの施設は、真っ白い壁で病院のような造りであり、職員たちが身に着けている服も、白、黒、茶色を基調とした極めて地味なもの。
これまでの介護業界は、世間の流行や若者の感覚に対し、あまりにも無関心でした。
むしろそういったものを異物として扱い、「ちゃらちゃらしている」「うわついている」などと批判し、夕ブー視してきたように思います。
本来、介護職というのは、現代の若者の感覚でも十分「かっこいい」仕事ですが、それを理解する以前の入り口があまりに「ダサい」ために、最初から敬遠されてしまうのです。
仕事は仕事、おしゃれはプラィべー卜で……という正論だけで片づけず、利用者とともに働く若者にも気持ちの良い空間やユニフォームであることも必要なのではないでしょうか。
しかし、建物はそう簡単に変えられるものではありません。
だからこそ、建物の古さを人やユニフォームで中和させることが大事なのです。
若者を雇用したいのであれば、若者とは「どうせ働くなら、かっこいい職場で働きたい」と理想を描くものであるという事実を心にとめておく必要があると思います。
介護現場でのルールの押しつけ
せっかく介護業界を志し、施設に就職しても、すぐに辞めてしまう若者は多くいます。
そこで「現代の若者は、根性がない。これだからだめなんだ」などと考えてしまうようでは、若者にとつて魅力的な職場をつくることは難しいでしよう。
経営者の意識とのズレ
なぜ、辞めてしまうのか。
さまざまな理由があるでしようが、ひとつには「経営者の感覚の問題」があります。
若者に、介護業界の価値観や自分の価値観を押しつけすぎると、若者は息がつまつてしまいます。
たとえば、制服などについては、若者のうちは、仕事現場でも自分をかっこよく見せたいという自意識から、おしゃれをしたいという感覚があります。
そこを「仕事は仕事、おしゃれはプラィべートですればいい」と説教してはダメなのです。
仕事に対し厳しさを求めるのは、確かに必要なことです。
介護の仕事は、事故が起きればときに人の命に関わりますから、いくら若者に職場に定着してほしいからといって妥協することはできません。
しかし、仕事には一生懸命取り組み、真面目に働いているなら、仕事に影響が出ない範囲で、おしゃれなどの自己主張を認めてあげてもいいのではないでしょうか。
つけまつげやピアスなどは、今の若者の間ではもはや日常的なアィテムです。
しかし、ある程度上の大人世代でそれらに対し抵抗を覚える人がたくさんいるせいか、多くの介護施設では、つけまつげもピアスも禁止です。
納得できるルールづくり
禁止でも構わないのですが、ルールを守らせるためには、それなりに納得できる理由が必要です。
実務に関係がない精神論を理由に禁止にするなら、若者はそれに反発を覚えるでしょう。
実際、ピアスを付けていたからといって業務に大きな支障を来すようなことはありません。
若い頃は、自分が納得できないことで縛られると、反発したり、とても面倒に感じたりします。
そういう気持ちで働いていても、面白いはずがありません。
反対に、業務に差し支えない範囲でのおしゃれを認めてあげれば、どうでしよう。
ピアスをひとつ付けているだけで、若者の自意識は満たされ、気持ちよく仕事ができます。
そのような感覚を経営者は理解したうえで服飾のルールを決めるべきなのです。
例えば「つけづめ」です。
お年寄りの肌は弱くなっているので、傷つける心配があるから禁止でしょう。
また、ネックレスやブレスレットなど、利用者の髪の毛を巻き込んでしまうようなアクセサリーの禁止も当然です。
その基準は明確です。
要は少しでも業務に差し支えが出るものは禁止ということなら納得されると思われます。
介護現場が変わる勇気を持つこと
「こんなことで若者が定着したら苦労しない」と思う人もいるでしよう。
確かにこの施策だけを見ると、小さいことかもしれません。
必要なのは「若者のおしゃれを認めよう」ということではありません。
経営者が、旧世代の価値観を納得できる理由なく押しつけるようなことをすればするほど、若者の気持ちは離れていってしまうということです。
介護業界というのは、極めて保守的な業界です。
何十年も前に決められた規則を「ルールだから」と盲目的に守ることを求められるようなことが起こりがちです。
若者とは、新たな価値観の象徴です。
自分とは違うその感覚を認め、価値観を理解することではじめて若者にとっても働くのが楽しい職場がつくれるのではないでしようか。
「デジタルネイティブ」世代の感覚
IT業界などに比べ、介護業界の経営者層は明らかに高齢です。
無論、「だからダメ」ということではありません。
経営者としての知恵と経験があればこそ、難局に差し掛かっている現在の介護業界をけん引していけるのだと思います。
しかし、焦点を「若者の職場定着」だけに絞ると、やはり経営者の年齢が高いほど、若者との間にどうしても壁ができ、その壁が越えられないことで若者も意思の陳通をあきらめ、自らが理解されないことが仕事への熱意を失うきっかけになっているように感じます。
介護現場におけるインターネット
それをもっともよく表しているのが、イン夕ーネットの扱い方です。
「デジタルネイティブ」という言葉がありますが、生まれたときからイン夕ーネットやデジタル機器に囲まれて育った世代、つまり一般的には1980年代後半以降に生まれた世代を指します。
デジタルネイティブ世代の特徴は、インターネットやデジタル機器を使いこなすことだけではなく、ネットワークをうまく使って情報を集めたり、いくつもの機能を同時に使うことが得意である点です。
反対の意味の言葉として「デジ夕ルイミグラント」があります。
これは、大人になってからイン夕—ネットやデジタル機器に慣れた世代を指しますが、もちろんすぐに時代に適応した人も多くいるため、世代論というより、むしろイン夕ーネットやデジタル機器を使い慣れていない人々というニュアンスで用いられることが多いようです。
この象徴は、電子メールをプリントアウトして読んだり、「メール届いた?」と電話をかけてきたり、ウェブサイトを見せるため自らの席まで人を呼びつけたりする、などが挙げられます。
IT化で効率化できる介護業界
介護業界は保守的であり、IT化も遅れています。施設によっては、ほとんどデジ夕ル機器を使わずに仕事をしているところもあるでしよう。
しかし、今後の若者たちは、全員がデジタルネイティブであり、イン夕ーネットなどの環境が整っていないことに強いストレスを感じます。
仕事上でも、パソコンを使えばすぐに終わることをあえて手作業でやらされるような理由が理解できず戸惑います。
そして、業務効率化への理解は諦めるという状況をつくり出してしまいます。
その感覚を理解しないまま、「昔からのやり方」を守ることだけに固執しているような施設は、若者からするとまったく魅力的とは思えません。
上司とやりとりするにしてもSNSとは何かを説明するところから始めなければならなかったり、パワーポイントを使って資料を作るだけで驚かれたりようだと、面倒で仕方がないでしょう。
もはや、異文化の中で育ったといっても過言ではない現代の若者とコミュニケーションを取る際には、自分たちの感覚ではなく相手の感覚をイメージし、ときには流行を理解するような努力も必要です。
「最近の若い者は」という言葉は、どこか「自分の世代に合わせて理解する努力をしろ」という上から目線を感じさせます。
悲しいかな時代は進み続け変化し続けます。これはいつの時代も待ったなしなのです。
常に俯瞰することが必要であって、年齢を重ねてこそ気づく価値観にまだ届かない若者を闇雲に否定することがナンセンスです。
人は年齢を重ねてくると、何かを変えることに多大な労力を感じるようになりがちですが、それを恐れずに若者の感覚も受け入れ、非合理的なものがあれば前向きな改善策を考えるという柔軟な姿勢でいることが大切です。

